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2020.03.26 » 1週間 前

鬼の居ぬ間に洗濯


始めまして、鬼堂廻と申します。普段は雑文を書いて悦に浸ったり、絵空事を書いて本にしたりなどをしているものです。

今回、このような妖怪サイトに記事を載せて頂けるということで浮足立っております。今まで自己の中、もしくは仲間内での発散という形で認識していた「妖怪雑学」ないしは「妖怪愛」がきちんと世に出せるのは有難いことであります。

さて、初投稿にあたりまずは自分のなかでの妖怪の定義や妖怪とは何かを話していきましょう。

妖怪とは何か

先人たちによってその定義は幾度も議論されてきました。この解釈については様々なものがあって良いと考えています。僕は、妖怪とはこうであると考えます。

物事が起こったときに、原因となるもの(またはその現象)」である、と。

人間というのは非常に弱い生き物です。それゆえに、物事が起きた時、「正体不明である」もしくは「自分自身の責任になる」ことを恐れます。その矛先、つまり原因を明確に自分以外の存在として認めたいという欲求が生まれるでしょう。そうした気持ちから妖怪というモノたちは生まれたと、僕は考えます。

某妖怪アニメでも「妖怪のせいなのねそうなのね」という歌の歌詞があるように、妖怪のせいで良いのです。妖怪の根本に近いのはこの歌詞だとも思えてきますね。

事象の原因的な妖怪の例として、疫病神を挙げましょう。元は中国の疫鬼が転じて悪神となり、そこから妖怪の分類にされることの多い疫病神は、 病気などが目に見えない存在によるものだと考えられていたことに由来して 生まれました。しかし、目に見えない=正体不明であるのは恐ろしい。だから目に見えるよう形付けしていけばいいというわけです。今まさに流行っている「新型コロナウイルス」に関しても、時代が異なっていれば疫病神の仕業だとされていたでしょう。現代では、病気の存在が明確であるが故に疫病神の出番は減っています。

『怪談夜更鐘』 より 疫病神と対峙する男

変化していく妖怪たち

しかし、今日の妖怪たちはその根本から飛躍し、その域を越えました。現象・原因から存在、そして造形へと形を変えていき、口伝から絵巻というように存在が露になってきました。これは、歴史上の文化における偉大な功績と言っても過言ではないでしょう。形を作り、名前を付け、そうして妖怪は現代まで受け継がれてきました。

その現代での妖怪たちと言えば、娯楽であり学問でありビジネスでもあります。そんな新しい形で我々の文化に紛れ込んでいる妖怪たちですが、現代人でもやはり「正体不明」や「責任転嫁」を 根本にして妖怪たちを生み出しています。

例えば、「妖怪リモコン隠し」なんて言われる妖怪は「自分でどこかに置いたリモコンが見つからないので妖怪のせいにする」という生まれです。こんな風に、今も昔も変わらない人間の弱さを表しているのも妖怪のいいところでもあります。

妖怪が畏れの対象であるのは古来から変わらぬものですが、現代ではそれがすべてというわけでもありません。上で述べたように、彼らは時に楽しい時間をもたらしてくれたり、お金をもたらしてくれたり、歴史の流れを教えてくれたりします。

畏れられ、疎まれつつも愛される。そんなモノを妖怪と呼び、これから先も愛していきたいですね。

河鍋暁斎 『暁斎百鬼画談』

画像:黄表紙『怪談夜更鐘』 『暁斎百鬼画談』

 ▼鬼堂廻(きどうかい) 
酒吞童子を敬愛。
執筆作品:「鬼胎」「憂虞」「大江山酒吞童子伝」「少年学入門」
サイト:note.com/jyaibotenor

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