妖怪総合情報発信サイト
2020.10.05 » 3週間 前

琵琶(びわ)と妖(あやかし)


皆様いかが妖怪らいふをお過ごしでしょうか?

長月が過ぎ、神無月でございますね。

神々様は出雲の国へとお立ちになり、会合が開かれるとか!

妖からいたしますと少し羽の伸ばせる候がきたともいえましょう。

今回も私、琵琶語りのコタロウの思いのたけをぶちかまして参りますよーー!!

さてさて、今回は「琵琶と妖」についてお話しいたしましょう。

そもそも「琵琶」と申しますのは、楽器でございます。

あのジューシィな果物ではないのでございます。むしろ楽器の琵琶に種の形がにているからビワと申すのでございます。

琵琶が日本に伝来したのは700年代~800年代とされています。

正倉院の「螺鈿紫檀螺鈿琵琶」なんて、よくお聞きになるでしょうか?

実は琵琶はあまりにも多様化し花開いたため、その渡来したルートは学説だけでは語れないのではないか?と感じることもあります。

このあたりを語り始めますとなんとも言えない蟠り(わだかまり)がございます。

一個人として体系図を作ってみました、いつでもご意見・訂正を受け付けます。

このように大きく分けまして2つの体系がございます。楽琵琶をはじめとした「器楽系琵琶」、筑前琵琶や薩摩琵琶をはじめとした「盲僧・盲人琵琶」がございます。

正倉院の「螺鈿紫檀螺鈿琵琶」はどこに入るのかというと、ここには入らないのです。

正倉院の「螺鈿紫檀螺鈿琵琶」は現存する最古のインド式つまり天竺式の渡来品となります。すっごく貴重な琵琶なんです!綺麗ですし、そりゃお宝ですよね!

だいたい成立した年代を書きますとこんな感じに!

諸説、また学説にないものがありますので参考程度にご覧くださいませ。

これで琵琶については理解が深まったでしょうか?

つまりよく江戸時代に妖怪として描かれる琵琶は楽琵琶、平家琵琶、盲僧・盲人琵琶が多い理由はここにあります。薩摩琵琶は薩摩武士の教養ですから、あまり本州では馴染みがなかったのです。

そして訪れる明治維新、薩摩の名手たちが関東に行くことで薩摩琵琶は全国に知れ渡ります。

また明治22年(1889年)に筑前琵琶が広まり始めると、山口や北九州の名手が関東に行き、これまた全国へと広まります。

前回の記事でも書きましたが、この時から昭和の第二次世界大戦前戦中までに数多くの薩摩琵琶、筑前琵琶が生み出されるのであります。

そうです!これが付喪神の琵琶フィーバーってことです。

もちろん壊れたり、朽ちてしまったものもあるでしょう。

しかし、多くが現存し、どこかの蔵で眠っていると思うとワクワクいたしますね!

さて琵琶と妖の古い物語を二つご紹介いたしましょう。

 一つは仏教天台宗の比叡山延暦寺の建立のお話です。

天台宗玄清法流の開祖を玄清法印といいます。天平神護二年(七六六)、現在の福岡県太宰府市近郊に生まれた玄清は幼くして仏門に入り、十七歳で眼病を患い失明します。後の盲僧のため一派を開こうと決心し盲僧の祖インドの阿那律尊者にならい琵琶を弾き始めます。

 二十歳の時一大発心し、琵琶を携えて山に籠り二十一日間厳しい修行を行います。満願の朝「心願を成就したければ速やかに比叡山に登って一人の聖者にまみえ、その方を至心にお助けせよ」というお告げを授かります。玄清は早速登叡し導かれるように伝教大師最澄に出会います。当時伝教大師は根本中堂の前身である一乗止観院を建立中でした。

 しかし大蛇が出て御堂の建設が阻害されていたのです。地神の仕業だと察した玄清は琵琶を弾奏しながら地神陀羅尼経を唱え地神供養を行います。地神は大いに歓喜し、たちまち大蛇の難は消除したと伝えられています。

 玄清の琵琶を用いた祈祷には感応道交の力があったのです。

天台宗HP様よりwww.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=162

筑前琵琶の大元となる天台宗玄清法流の由来になります。蛇を払う、邪を払う楽器として取り上げられます。

二つ目は今昔物語の「玄象といふ琵琶、鬼のために取らるること」です。

 今となっては昔のこととなったが、村上天皇の御代に、玄象という琵琶が突然なくなってしまった。これは世にも珍しい伝来品であって、貴重な朝廷の宝物であったのに、このように失われてしまったので、天皇は大変お嘆きになって、「このような、貴重な伝来の品が、我が代にあって失われてしまうとは」とお思いになりお嘆きなさるのも道理のことである。これは、誰かが盗んだのであろうか。しかし、誰かが盗んだのなら、自分のものとしておくことができない品であるから、天皇をよからず思い申し上げる者がこの世にあって、盗み取ってこわしたのかもしれないとお疑いになった。

 そのような時、源博雅という人が、殿上人であった。この人は管弦の道を極めた人で、この玄象がなくなってしまったことをお嘆きになっていたところ、人が皆寝静まった後、この博雅が清涼殿で耳を澄ましていると、南の方から、あの玄象を弾く音が聞こえた。大変いぶかしく思われるので、もしかしたら空耳だろうかと思ってよく聞いてみると、まさしく玄象の音である。博雅は、これを聞き違えるはずもないので、返す返す驚きいぶかしんで、誰にも告げずに、直衣姿でただ一人、沓を履いて、小舎人童を一人伴って、衛門の陣を出て南に向かって行くと、なお南の方からこの音は聞こえる。この近くであろうと思って行くと、朱雀門に来てしまった(そこでも)やはり同じように南から聞こえる。そこで、朱雀大路を南に向かって行く。心の中で「これは、玄象を誰かが盗んでこっそり弾いているのであろう」と思って、急いで行って高殿にたどり着いて聞くと、さらに南の方すぐ近くに聞こえる。そこで、さらに南に行くと、すでに羅城門に着いた。

 門の下に立って聞いていると、門の上の二階で玄象を弾いているのである。博雅はこれを聞いて驚きあきれて、「これは人が弾いているのではあるまい。きっと鬼神か何かが弾いているのであろう」と思う時に、(博雅の心を悟ったように)弾くのをやめた。しばらくしてから、また弾き出す。その時博雅が言うには、「これは誰がお弾きなさるのか。玄象がこの数日来無くなって、天皇が探し求めていらっしゃったところ、今夜、清涼殿で南の方にこの音色が聞こえたのです。そこで尋ねてきたのです」と。

 その途端弾くのをやめて、天井から下りてくる物があった。恐ろしくて飛びのいて見ると、玄象を縄につけて下ろしてきた。そこで博雅は恐る恐るこれを手に取って、内裏に帰って事の次第を奏上して、玄象を献上したところ、天皇は大いに感じ入られて、「鬼が取って行ったのだな」と仰せられた。このことを聞く人は、皆博雅のことを讃め讃えた。

 その玄象は、今でも朝廷の宝物であって、代々の伝来の品として内裏にある。この玄象は生きている物のようである。下手に弾いて弾きこなせないと、腹を立てて鳴らないのである。また、塵がついてぬぐわない時も、腹を立てて鳴らないのである。その気分がはっきりと目に見えるということだ。ある時には、内裏で火災があった時にも、誰も取り出さないのに、玄象はひとりでに出て行って庭にあった。

(今昔物語集より)

こちらは琵琶に惹かれた鬼のお話です。鬼の弾く琵琶はどんなものだったのでしょうね。聞いてみたいものです。

琵琶は邪を払ったり、鬼を惹きつけたり、仏具だったり、物語を語ったり、妖との相性はばっちりです。渡来してきた楽器とは言え、日本で花開いた、和楽器「琵琶」。

もしかすると貴方の傍に眠っているかもしれません。

そしてその琵琶が付喪神になっているかもしれませんよ?

さて今回はこれにて読み終わり!

またの機会をお楽しみに!

琵琶についてご相談なさりたい方は、私のTwitterより連絡くださいませ!

(執筆 琵琶語りのコタロウ)

★妖怪らいたー紹介★

琵琶語りのコタロウ

国指定の選択無形文化財「肥後琵琶」を奏でる琵琶奏者。

愛される琵琶奏者を目指し、人間の姿や妖怪「琵琶狸」として各地で演奏活動をしております。演奏や演奏体験などTwitterよりご相談ください!

Twitter  琵琶語りのコタロウ  twitter.com/biwagatarikota

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です