岐阜県に祀られし鬼の首【考察編】
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岐阜県に祀られし鬼の首【前編】( http://youkaiya.jp/youkai-ch/?p=1006 )
岐阜県に祀られし鬼の首【後編】( http://youkaiya.jp/youkai-ch/?p=1034 )
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最近の気圧の変化で気持ちの乱高下が激しい神代です。気圧の変化にはこんなにも敏感なのに、霊感は少しもないなんて…世の中上手くいかないですね。
今日は以前書いた鬼の首の記事を経ての考察を書きたいと思います。以前の記事を見ていない方にはよくわからない内容になると思いますので、最上にそれぞれの記事へのリンクを貼りました。
岐阜県にある鬼の首が拝観できる神社、それにまつわる伝承に興味がある方は是非ご覧ください。
さて、前回の記事でサイトオーナーの妖怪屋さんに言われた「さるとらへび」にまつわる伝承は下記のようなものでした。
(外部サイト: http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=395 )
「さるとらへび」の元になったと読み取れる 「高賀宮記録」の鬼の伝承で、高光が倒した岐阜県の鬼…。いくらかの相違はあれど、確かに鬼の首の伝説と酷似していますね。
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では、ここで改めて今まで出て来た鬼の首の情報と、新たに判明した情報をまとめて、推測を記していこうと思います。便宜的に高賀宮記録の伝承を「鬼の伝承」、念興寺に伝わるものを「鬼の首の伝承」と名前を分けます。
・鬼の伝承は1186年に書かれた「高賀宮記録」に記されていた。その後何度か記録は改書されているものの、追記分は全て最下段に書く形式となっている為、抜本的な改ざんは基本的には起こり得ない。
・鬼の首の伝承は、調べた限り近年になるまで寺内にしか出典記録が無かった。
・鬼の伝承と鬼の首の伝承は、場所や出てくる怪物などが酷似しており、恐らく同一の伝承だと思われる。(別の伝説なら高光は似たような鬼を倒すため2回も岐阜に来ることになる)
・高光の伝承では3メートル程もある大鬼という事だったが、実物の鬼の首は思いの外小さく、人間の頭蓋骨のようであった。(キャプテン翼体形?)
・伝承に登場する粥川太郎右衛門は、調べ得る限りでは鬼の首の伝承でのみ登場する人物であり、他の歴史的記録書には登場しない。
・平安時代に退治した鬼の首を何故江戸時代に奉納したのかは、説明らしい説明が全くなされていない。
以上の事から推察し、私は一つの仮説を立てました。
念興寺の鬼の首の正体は、
粥川太郎右衛門を名乗る男に殺された、人の骨です。
経緯は恐らくこうです。何らかの原因で人を殺してしまったある男は、死体を下手に埋めて野犬に掘り返されるのを防ぐためか、或いはその罪の意識からか、骨を神社に奉納しようと思い立ちます。
しかし、そのまま死体を奉納しては自らの罪が露見してしまう。その為、岐阜県に伝わる鬼の伝説を引用し、死体の頭蓋骨に角を付ける事によってそれを鬼の首としました。
そして、自らを藤原高光の子孫である粥川太郎右衛門 だと名乗り、無事証拠の隠滅を果たしたという訳です。
寺内の記録と伝承の間に細かな違いがみられるのは、男が民間に伝承として広がっている曖昧な情報しか知らなかったから。時代を越えた不可解な行動と、鬼の首が伝説より小さい物であるのは、それが人骨だから、です。
私がそれらしいストーリーを作り上げた三流未満の脚本家か、鬼の首伝説の事実を明るみにした者か、はっきりする事は恐らく未来永劫無いでしょう。ただ、一つの意見として、インターネット上に穴だらけの仮説を残すくらいは許されるはず…だと思います。
(外部引用URL:齋空歴史博物館 様 )
(画像:百鬼夜行絵巻 )
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