妖怪は文化を越える(ブギーマン、なまはげ、キサラリ)
先日、アマプラ特典で無料だったので、映画『来る』を観ました。
「ホラー」というより「お祓いエンタメ」といってもよい映画で、ストーリー自体については、ここでは詳しくは書きませんが、映像はなかなか迫力があってよかったです。中でも、ご祈祷のシーンは圧巻でした。柴田理恵の怪演や松たか子の格好良い演技も見どころです。
新宿下落合の「氷川神社」の神職が企画段階から映画造りに加わり、撮影のお手伝いをされたそうです。
個人的に昔、一時期、高田馬場に住んでいたときのアパートがこちらの氷川神社の目の前だったので、縁を感じます。
また、映画には滋賀県甲賀市「大鳥神社」のロケもあり、そちらでも神職の方が演技指導にあたられたそうで、雰囲気があってよかったです。
映画『来る』の原作は、『ぼぎわんが、来る』という澤村伊智によるホラー小説です。
「ぼぎわん」というのは、作者の澤村氏オリジナルのおばけです。作中では三重県に伝わる妖怪とされ、室町時代に宣教師によって「ブギーマン」と名付けられたものが当時の日本人の発音のなまりで「ぼぎわん」と呼ばれるようになったと説明されています。
ブギーマンの伝承
「ブギーマン」は、特定の外観や特徴を持ったものではなく、多くの子供たちが共通的に持つ恐怖や不安が具象化されたものとされています。「ブギーマン」という名称はスコットランドが発祥とされていますが、そのような抽象的な怪物については、世界各地に伝承があります。
なまはげの伝承
Wikipediaの「ブギーマン」の項目では、日本における例として、「なまはげ」が紹介されています。
「なまはげ」は秋田県の男鹿半島において行われる行事ですが、なまはげと同様の行事は日本各地に広く分布しています。日本海側では「ナモミハギ」、「ナガメ」、「ナモミョウ」、「ナゴミ」、「アマミ」、「アマハゲ」、「アマメハギ」と呼ばれる行事があり、秋田県内でも「ナゴメハギ」、「ヤマハゲ」、「アマノハギ」という類似の行事があるそうです。
「なまはげ」は鬼の仮面を付けてわらの衣装をまとった格好をしますが、そもそも「鬼」という存在は、霊や死者のイメージを基本としながら、民俗学者の折口信夫などはカミとオニは古代の和語の段階では同義であったという説を提唱するほど、日本人の恐れや畏怖という心象の原風景を具象化したものなのかもしれません。
キサラリ(耳長おばけ)
アイヌの「キサラリ」は、「耳長おばけ」という意味で、泣く子供を驚かすために使う道具です。鎌刃に黒い布を巻きつけ、くちばしのように見せ、耳は赤い布を巻いています。
夜泣きしてやまない子供がいると、窓からちらりちらりとこのキサラリ(耳長お化け)を見え隠れさせながら、歯をかみしめ、唇を引きかげんにして強く息を出し、ぐふーう、ぐふーうと、けものか鳥かわからないような音を出すと、たいていの子供はぴったりと泣きやむと云われています。
「ゴールデンカムイ」にも出てきたので、知っている人も多いかもしれません。
これも、姿形のはっきりとしない「耳長おばけ」を子どもの恐怖の対象として信じさせているという点で、「ブギーマン」との共通点が見られる事例かもしれません。
妖怪千体説と文化を越える妖怪
同じような伝承が、世界各地の全く違う場所で見られるというのは、「ブギーマン」に限らず多くのケースがあります。
水木しげる先生は、妖怪は世界中に無数にいるが、それぞれ共通性があり凡そ千種類に集約されるという「妖怪千体説」を唱えていました。
恐怖や畏怖といった人間に根源的に備わっている感情が万国共通である以上、共通言語としての妖怪、妖怪を通した異文化コミュニケーションも可能なはずです。
妖怪は海を越え、文化を超える。
妖怪が世界平和をもたらすカギとなるかもしれません。
画像:中島哲也監督『来る』、フランシスコ・デ・ゴヤ『ブギーマンがやって来た』、平取町立二風谷アイヌ文化博物館、野田サトル『ゴールデンカムイ』
参考文献:「精選 日本民俗辞典」(福田アジオ、吉川弘文館)
文=渡邉恵士老
■渡辺恵士朗(けいちゃん)
北海道旭川市出身。早稲田大学人間科学部卒。在野の妖怪研究家。公認情報システム監査人(CISA)、プロジェクトマネジメントプロフェッショナル(PMP)。
現在は経営・ITコンサルティングを生業として、北海道札幌市に居住しつつ道内各地や東京などを駆け巡っているが、大学の時には民俗学・文化人類学を学んでおり、ライフワークとして妖怪の調査研究を続けている。
現在住んでいる北海道にまつわる妖怪や、ビジネス・経済にまつわる時事ニュースと絡めた妖怪の記事を執筆中。
Twitter:https://twitter.com/keishiro_w
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