化け狸の話
暦の上では立秋というのに、ますます暑くなってきておりますね。毛皮のない人間が羨ましい限りでございます。
申し遅れました。私、高砂狸屋を切り盛りさせていただいております、狸森泥舟と申します。
お初にお目にかかります方も、そうでない方も、どうぞよろしくお願い致します。
さて、自己紹介も済んだところで、もうお気づきの方もおりましょうが、なにを隠そう私、人様の世にまぎれて生きる一匹の狸でございます。
そんな私が記事を書かせていただくからには、はじめは一つ、狸のお話をさせていただこうと思います。
まず、みなさんが狸と聞いてどんな姿が思い浮かびましょうか?
よく店先にちょこんと居座る置物の狸、もしくは、野山を時には街を駆け回る獣の狸でございましょう。
しかし、本日お話しするのは、妖怪に属して語られる、化け狸についてでございます。
化け狸、古狸や妖狸怪狸なんぞとも言われますが、見た目は獣の狸、または擬人化したように描かれる事が多く、様々な土地で多種多様な話が残されております。
妖怪の狸がすることと言えば、化ける化かす、故に化け狸。(勿論、憑いたり祟ったりなんて話もございますが、その話はまた別の機会に…………
その化ける力は『狐七化け、狸八化け』なんて言葉があるくらいで、じつは狸の方があの狐より化ける力は上だという話もございます。
では早速、今回のお話、そんな化ける狸の話を一つさせていただきます。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』にも記述があったという、芝右衛門狸についてでございます。
漢字の表記としては、柴右衛門との表記も見る事もございます。
また、お話としても色々な形で残っておりますので、今回は『絵本百物語』にある芝右衛門狸のお話をさせていただきこうと思います。
その昔、淡路に芝右衛門という農民がおり、その農民の元に老いた狸がよく残飯を目当てにやってきていた。芝右衛門は哀れに思い、わざわざ飯を残してやっていた。
ある日、狸に芝右衛門は「人間にでも化けてみろ」言ってみたところ、狸は齢五十ほどの人の姿となって芝右衛門のもとを訪れるようになった。そして、古事やためになる話を様々芝右衛門に聞かせた。これによって芝右衛門は物知りになり、人々にもてはやされるようになった。
ある時、京で人気となった、竹田出雲の芝居が淡路にもやってきて興業していたが、芝右衛門の元を訪れていたあの狸も人に化けてその舞台を観に行った。
その帰り道、犬に襲われて死んでしまった。
しかし、人に化けたまま死んで半月ほど正体をあらわさず、二十四、五日過ぎてやっと元の狸の姿となった。
芝居を観に行って帰り道で犬に襲われるなんて可哀想に……
おっと、失礼いたしました。
とまぁ、死んでもなお化けの皮が剥がれず、人を化かし続けるとは、なんともすごい化け狸でございますね。
ところで、この狸は化けの皮がしっかりしていて結構ですが、みなさんは如何ですか?
ん?なんの事やらというお顔ですね。
私、思うのですよ。
狸や狐より、よっぽど人間の方が化けるのも化かすのも得意なのではないかと。
あなた様もなにかしらうまく化けて、人を化かしてやおられませんか?
ふふふ、どうやら心当たりがおありのようで…………。
でしたら、芝右衛門狸のように、どうぞよい化けの皮をお持ちくださいね?でないと、せっかくの今までの努力が水の泡。努々お気をつけくださいませ。
それでは、またお目にかかります。
この記事へのコメントはありません。