環境問題と妖怪(南方熊楠、オシラサマ、河童)
最近、「SDGs」(持続可能な開発目標)が流行っています。
今や猫も杓子も「SDGs」ですが、10年以上前の2008年に開かれた「北海道洞爺湖サミット」でも「持続可能な開発のための教育」について触れられており、「持続可能な開発」という考え方自体は、その昔、1992年の国連地球サミットから広まった理念と云われています。
環境問題絡みの話題では、9月下旬に、小泉進次郎環境大臣がステーキを食べたという素敵なニュースが世間を騒がせました。
牛は温室効果ガスであるメタンガスを排出するので、牛肉を食べることは間接的に環境に悪いのではないかという質問に対して、小泉大臣は「毎日でも食べたい」と的外れな回答をしたそうです。
また、スウェーデンの16歳、グレタ・トゥンベリさんが米国ニューヨークで開かれた国連の温暖化対策サミットで、「大人」世代に向けた激しいスピーチを行ったことも話題になりました。
グレタさんは、若いのに行動してすごいなと思う一方で、あまり他人を煽るのはよくないなと思いつつ、見た目だけで中身がないのはどうしようもないなと思うわけです。(小並感)
小泉大臣は、「セクシー発言」や「30年後の自分は何歳か」ポエム発言などでも話題になっていますが、本当に中身がないというか、意味不明過ぎて面白いです。常人の発想では、意味を考えてしまうので、このような発言はできないと思います。人知を超越した時空にいる方なのでしょうね。(同じ意味不明でも、某N国党などは実害の出る危険な領域にありますね。この辺は宗教や差別問題も絡むので難しいですが)
また、環境会計やマテリアルフローコスト会計など、企業側でも実務として環境問題に対して取り組んでいる例も増えてきています。最近は、関西電力の収賄罪がニュースになったり、炭素税の導入なども議論がされてきており、環境問題は庶民にとっても遠くはない問題であります。
そして、環境問題は、妖怪とも切っても切り離せない面を持っています。
民俗学における環境論
妖怪が棲む世界は、自然の世界であり、人間は自然を差配しながら、その中に人間が住まわせてもらっていると考えられます。
また、妖怪を研究対象として含んでいる民俗学では、自然とともに暮らす人々(常民)の生活に語り継がれる民俗伝承の蒐集を軸にしており、伝承には自然環境に対する生活の知恵が詰まっています。
具体的な事例でいうと、民俗学者の南方熊楠が、明治政府による「神社合祀」に反対し、神社と神社林を守る運動を行ったことが、環境保護運動、エコロジー(生態学)の先駆として有名です。
生物学者として粘菌の研究を行っていた熊楠からすれば、「神社」が廃社となることによって地域社会の習慣や伝統が崩壊することだけではなく、「神社林」を伐採することによって貴重な生物が滅ぶことを危惧していたようです。
ちなみに、南方熊楠は民俗学、生物学、博物学の他に6か国語以上を操り、古今東西の文献を渉猟していたため、柳田国男に「日本人の可能性の極限」と評されたそうです。
その柳田国男は、日本の民俗学を体系化し学問領域のひとつとして確立させた人物ですが、兵庫県田原村辻川で育ち、東京帝国大学では農政学を学び、卒業後には農商務省に入り、主に東北地方の農村の実態を調査・研究していました。その中で岩手県遠野の佐々木喜善と知り合い、「遠野物語」を執筆するに至ります。
柳田自身は、熊楠とは違って、直接的に環境論、自然観について論考を示してはいません。民俗学は、その時代時代において、普通の人びと(常民)にとって一番大きな社会問題を扱ってきましたが、柳田の生存当時、現代ほどに「環境」が大きな社会問題ではありませんでした。ただ、民俗学が主要な対象とする人びと(農民、漁民など)の生活は自然と隣り合わせであったことから、常民の自然観の把握が民俗学の目的のひとつとなっています。
常民の自然観とオシラサマ
例えば、「遠野物語」にも登場する「オシラサマ」は、農耕神として田植え、草取り、穀物の刈り入れなどに助力し、特に養蚕の神様とも云われる、馬頭で描かれることの多い神様です。
東北地方に伝わる昔話では、ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、オシラサマとなったのだといわれます。
その後、天に飛んだ娘は両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが養蚕の由来になったと云われています。
このように、民俗学では、自然について、神様について、人間の生死について、あるいは社会のありようについて、かつての日本人(常民)が何を感じ、どのように考えて生きていたかを伝えています。
環境問題と河童
また、有名どころの妖怪である河童は、水神が零落した妖怪と云われます。
浅草のかっぱ橋道具街には、金色に輝くかっぱ河太郎の像が建立されています。
江戸時代の文化年間に、商人として財を成した合羽屋喜八は、今の合羽橋近辺の水はけが悪かったために、私財を投げ出して治水工事を行います。
治水工事が難航しているのを見かねた隅田川の河童たちが喜八の漢気に感じ入り、夜な夜な現れては工事を進め、いつしか工事は無事に完成したそうです。
その隅田川の河童を見た人は、なぜかそれから商売が繁盛したことから、合羽橋道具街では河童を商売繁盛の神様として祀るようになったそうです。
今では、合羽橋商店街では、河童のオブジェをいたるところに飾るとともに、水とみどりにあふれる「かっぱの皿の乾かない」環境づくりをめざして、商店街を上げて河童とともにまちづくりをしているそうです。
ちなみに、かっぱ橋道具街からほど近い、浅草の曹源寺は「かっぱ寺」の別名を持ち、河童(水虎)の手のミイラを祀っていることで有名です。
境内には河童がたくさんいるので、妖怪好きの方は行ってみると面白いと思います。
このように、河童のことを考えることは環境のことを考えることであり、環境問題を考えるためには妖怪のことを考えることにつながり、有機的関連の連鎖はまさにエコシステム(生態系)と言えるでしょう。
画像=水木しげる(猫楠)、渡辺恵士老(岩手県遠野「伝承園」、浅草、合羽橋付近の撮影写真)
文=渡邉恵士老 (Watanabe Keishiro)
参考文献: 「猫楠 南方熊楠の生涯」(水木しげる、角川文庫)、「柳田民俗学のフィロソフィー」(鳥越皓之、東京大学出版会)、「環境社会学 生活者の立場から考える」(鳥越皓之、東京大学出版会)
■渡辺恵士朗(けいちゃん)
北海道旭川市出身。早稲田大学人間科学部卒。在野の妖怪研究家。
現在は北海道札幌市と東京の二拠点生活をしながら、経営・ITコンサルティングを生業としているが、大学の時には民俗学・文化人類学を学んでおり、ライフワークとして妖怪の研究を続けている。
現在住んでいる北海道にまつわる妖怪や、ビジネス・経済にまつわる時事ニュースと絡めた妖怪の記事を執筆中。
Twitter:https://twitter.com/keishiro_w
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