金毛九尾の狸のお話
春浅く、日が沈めばいまだ冬心地の日々でございますね。
狸森泥舟でございます。
数日温かいと思えば、すぐにまた冷たい風が戻って参ります……三寒四温などと申しますが、暑さ寒さも悲願まで、心地よい春はもう目の前でございます。
さて、今回のお話は何にいたしましょう。
ふむ…………。
では、あまり知る方も少ない金毛九尾の狸のお話でもいたしましょうか。
金色の毛並みに九つの尾と言えば、皆様が思い浮かぶのは〝九尾の狐〟でございましょう。
しかし、実はおるのでございます、金毛九尾の狸が。
名はキュウモウ狸。祀られた神社「魔法神社」の名前から、魔法様などともよばれております。
キュウモウ狸は、永禄11年、伴天連の乗る南蛮からの船に紛れ込んで日本にたどり着き、今の岡山の真庭へとやって参ります。
出身は何処か定かではありませんが、一説には天竺、また今のインドネシア辺りからではないかと推察される方もおられるようでございます。
狸はその後、江戸中期元文6年、今の吉備中央町辺りに銅山が開かれ賑わいを見せておりました頃、鉱夫に化けてやってきて遊び回ったと言います。そして、その鉱山が閉じられた後、廃坑に棲み着いたそうでございます。
以来、其処を気に入ったキュウモウ狸は、人に化けて春になれば稲作を手伝ったり、夏には盆踊りを一緒になって踊ったりして、日々を過ごします。
また、我ら狸のさがなのか、少々悪戯好きなところはあったようで、人々を困らせることもあったようでございます。
一番の悪事はと言えば、木の葉を金に変えて商売人を困らせたりもしたそうでございます。
しかし、化けるのはあまり得手ではなかったようで、人に化けた姿は口がとがり、口ひげが濃く、顎が細くて下半身が短い、正体がすぐにばれてしまうような転じた姿だったと言われております。
正体に気付かれると、「すまん、すまん」と言っては逃げ出したそうで、なんとも愛嬌のある狸ございます。
月夜には「ヤンサン、ヤンサン」踊り回ったりもしていたそうで、この辺りは出自の考察の材料にもなりそうでございますね。
しかし、出自が不明であったり、金毛九尾と少し変わった狸ではございますが、人が周辺の狸に害を及ぼすと、怒ってその者の家に火を付けたなんて話もございますから、仲間思いの気のよい狸であったのでございましょう。
そんな風に地域に溶け込んで暮らしていたキュウモウ狸でしたが、ある日、人々に礼を言うと「今後は自分が牛馬を守る」といい、「火難盗難があれば知らせる」と誓いをたてたようでございます。
その後人々は馬喰山に神社をつくり、キュウモウ狸を祀ったのだそうでございます。
キュウモウ狸の祀られた神社は、いくつかございますが『備前加茂日本狸由来記』にはキュウモウ狸の祀られた火雷神社に多くの参拝者が牛馬を連れてお参りする様が描かれた絵が残されております。
しかし、実はこのあたり、誓いをたてたのは悪戯を咎められ、懲らしめられたからだとか、退治を依頼された和尚様との法力対決に負けたからだとか、諸説はございます。
悪戯を咎められるほどにするのも然もありなん…………
和尚様との対決も、我ら狸のしそうな話…………うーむ。
…………おっと、失礼いたしました。
さて、皆様はキュウモウ狸はどんな狸だったと思われますでしょう?
お話というのは千変万化、人の口を伝っては姿、形を変えて参ります。
ここ幾度、私のさせていただいたお話もまた、この狸の口で微かに変じており、聞いた皆様の口から出るときにはまた微かに変じております。
気付かぬ程の微かな変異も、伝う口の数で無限に変化していくのでございます。
その変化は生きる合間であるからこそ。
お話もまた生きておるのでございます。
またいつか、生くるお話ができますように…………
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