ヒグマとアイヌの神(キムンカムイ)
今年は北海道で熊の出没情報が例年に比べて非常に多く、8月には札幌市の住宅街に出没を繰り返していたヒグマが射殺され、市外・道外からクレームが300件以上寄せられたことが話題になりました。
9月に入ってからも札幌や近郊の江別などでヒグマの出没は相次いでおり、冬眠に入る11月~12月頃まで安心はできない状況です。
また、近年はエゾシカの急増などにより、冬でも食糧がなくならないため、冬眠(冬ごもり)しないヒグマも増えてきているそうです。
ちなみに、日本史上最悪の獣害事件である苫前三毛別羆事件が起こったのも12月であり、三毛別のヒグマは巨大すぎて冬眠するための穴がなく、「穴持たず」となり狂暴化し、栄養確保が不十分なために食糧を求めて人里に降りてきたのではないかと言われています。
ヒグマは、アイヌでは「キムンカムイ」(=山の神)と呼ばれ、アイヌの神々であるカムイの中でも代表的な存在です。
最近何かと話題の漫画「ゴールデンカムイ」にも、クマはよく出てきますね。
クマは、「カムイモシリ」(=神々の世界)に暮らしている時には人間と同じ姿をしていますが、「アイヌモシリ」(=人間の世界)に来る時には毛皮のコートを着て、大量のお肉を人間へのお土産として持ってくると言われています。
つまり、人間が熊を狩ったとしても、それはクマから毛皮やお肉のお土産をもらったのであって、霊魂に対しては儀式を行い、カムイモシリに送り返します。
このように、一方的な収奪ではなく、自然(カムイ)との贈与・返礼と交換で社会が成り立っているのがアイヌの面白いところです。
ちなみに、贈与と交換は、文化によって様々な形態があり、有名なところでは北米先住民族(アメリカインディアン)の「ポトラッチ」(儀式に先立ってトーテムポールが立ち上げられ、族長が客に対して財産を贈与する儀式だが、その贈与は次第にエスカレートし、財産を破壊、炎上することで等価交換を満たすことが増えたため、19世紀末にアメリカ政府によって禁止された)などは、その顕著な例です。
アイヌとクマの話に戻ると、子グマをカムイモシリに送り返す「イオマンテ(イヨマンテ)」という儀式も有名です。
『ザ・ワールド・イズ・マイン』など、様々な漫画、アニメ、小説などでモチーフとして取り上げられることの多いアイヌの宗教儀礼です。
子グマは、親から預かった大切なものであるため、大事に育てた上でカムイモシリに先に戻っている親元に送り出します。
イオマンテは、子グマの肉を食べるために行うのではなく、子グマを楽しませて、カムイモシリに戻ったときに人間の世界がいかに面白い世界であったかを報告してもらい、クマたちが再び人間の世界にお客としてやってきてもらうために行うと言われています。
ここでもやはり、贈与と交換の精神です。
人間を食べたり、悪いことをしたりしたクマは、悪い神様=「ウェンカムイ」となります。
ウェンカムイとなったクマに対しては、アイヌは単に狩るのではなく、毛皮や肉を取らないという罰を与えることで、カムイモシリに送られることがなく、テイネポクナモシリ(じめじめした地獄)に送られるようにします。
キムンカムイに対しては、毛皮や肉のお礼として対価を贈ることで、カムイモシリ(神の世界)に送られるようにしましたが、ウェンカムイに対しては、対価を与えないことで、テイネポクナモシリに落とすという、ユニークなアイヌの罰の与え方です。
今年、札幌市で射殺されたヒグマも、農作物に被害を与え、一部では牛など家畜にも被害を与えており、人間を恐れず避けない段階まで来ていたため、いずれは人間を襲うようになる可能性が高かったと見られています。
つまり、ウェンカムイになるのは時間の問題だったということで、その前に射殺したということは、アイヌの贈与と交換の精神にも則ったものと言えるのかもしれません。
画像=北海道新聞、札幌市ホームページ
文=渡邉恵士老
参考文献:「アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」」(中野裕、集英社新書)、「白老における「アイヌ民族」の変容―イオマンテにみる神官機能の系譜(西谷内博美、東信堂)
■渡辺恵士朗(けいちゃん)
北海道旭川市出身。早稲田大学人間科学部卒業。在野の妖怪研究家。
現在は北海道札幌市と東京の二拠点生活をしながら、経営・ITコンサルティングを生業としているが、大学の時には民俗学・文化人類学を学んでおり、ライフワークとして妖怪の研究を続けている。
現在住んでいる北海道にまつわる妖怪や、ビジネス・経済にまつわる時事ニュースと絡めた妖怪の記事を執筆中。
Twitter:https://twitter.com/keishiro_w
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