「怠け者になりなさい」メッセージに込められた水木しげる先生の人生
次回予告をしておきながら長らくおまたせしました!!!
境港旅行記!前回は妖怪スタンプラリー編でしたが、実は、
その妖怪ロードの中に一つ、絶対に外せない重要な見どころがあります。
「水木しげる記念館」
ここは、水木しげる先生が生まれてから
現在に至るまでの人生の轍が刻まれた場所
ミサでいうと礼拝堂にあたる神聖な場所なのです。
こうかくと宗教っぽいのですが、私にとっては
崇拝に近いものがありますので一番しっくりきます(笑)。
中に入るなり私にとっては永遠のアイドル妖怪である
猫娘さんがお出迎えにきてくださ、くださられ、いらっしゃいました。
小学生みたいに、はしゃいで写真とります。
あぁ…。ミッキーマウスにだってこんな抱きついたり
しないのに。みっともない。
そんなみっともない大人の図はこちら↓
ゲゲゲの鬼太郎以外の作品
さて、先程のはゲゲゲの玄関だったわけですが
2階に進むと、そこは水木しげるの作品展である
「水木しげる 漫画ワールド」です。
様々な作品が展示されており、見開きで
それぞれの漫画の代表的な1ページを読むことができたりします。
前から水木先生はゲゲゲ以外にも色々描いているって
事は知っていたんですが、まさかここまでとは。
はじめて聞くような作品のタイトルばかりで非常に驚きました。
カテゴリでいうとだいたいこんなかんじです。
- 戦争もの「総員玉砕せよ他」
- ヒーローもの「ロケットマン他」
- 政治風刺「劇画ヒットラー他」
水木先生の漫画は
どれも直球な表現なので言葉がシンプルで浸透しやすい
です。そのため、1ページみただけでも、続きが読みたい!
そう思わせる作品ばかりなんですね。楽しい、楽しすぎる。
これが本来の漫画のパワーなんだ。
そう感じさせてくれるコーナーでした。
ねぼけ人生
漫画ワールドを抜けるといよいよ水木しげる先生の人生の年表がずらり。
「ねぼけ人生」のコーナーです。私はここが見たかったんですよね。
水木先生がどうやって生きてきたかかなり詳細に知ることができます。
って気もそぞろに見始めると。
幼少のころのエピソードですでにサプライズ!
水木先生は「のんのんばあ(神仏とか妖怪とかにやたら詳しい婆さん)」
という近所の婆さんの影響で
3歳の頃に「死」に興味をもちはじめ
人が死んだところをみたいと思いたったそうで
こともあろうに実の弟を海に突き落としちゃったんですって!?
まじ~!!!?それって現代じゃちょっとした事件沙汰じゃん。
てか殺人未遂!!
もちろん弟はことなきを得ましたが
当然両親にきつくお灸をすえられたそうです…。
そりゃそうですよねぇ。見たいからって突き落とすって…。
漫画の世界かッ!あ、いや漫画家だった。
そんな三つ子の魂から、
いよいよ青年期に入り水木先生を形成する上で
一番重要なターニングポイントがありました。
そう、
「戦争」
です。
水木先生は、パラオ駐屯中に原住民ゲリラに攻撃され
海に飛び込み、短剣とナイフだけで
ジャングルを一週間もさまよったのです。
その後も追い打ちをかけるようにマラリアと
戦い、その療養中に爆撃でなんと左腕をなくしました。
(麻酔なしで切断)
生死の境をさまよったわけです。
もう、それだけで生きる希望を失いそうですが、
そこからの変貌がすさまじい。
その時から生きるために死に物狂いになったんですね。
後に片腕を失ったことに対して水木先生は、
「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」と語り、
「左腕を失ったことを悲しいと思ったことはありますか」という問いに
「思ったことはない。命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある」
と答えています。
先生は「死」について興味を持っていた幼少期からさらに
青年期での「戦争」を通じて「死」と「生」について実経験を経て、
精神が高まったということなのでしょう。この時点で彼は既に
「妖怪(超人)」
となっていたのだと思います。※もちろん敬意を込めて
もう少し語りましょう、
その後も水木先生は本人も言うとおり
片腕とは思わせない仕事をずっとし続けてきたのですが、
収入的に「成功」したのはなんと44歳。以外にもかなりの遅咲き。
その成功を支えたのはゲゲゲの女房でもおなじみのあの布枝さんだったんですが
嫁いだ当初の「極貧」状態から成功するまで、よく愛想をつかさずに
支え続けたたなあと、きっとそれだけ魅力があったんでしょうね。
そして成功してからの水木先生の仕事ぶりは
更に加速の一途をたどり、尋常じゃないレベルまで。
60代で年間50冊以上もの漫画を発行するとか。これはまさに。
鬼神
の領域です。本当に片腕なんでしょうかね。
片腕ぐらい何のハンデもないんだと
思わせるような仕事ぶりです。
本人が自負する他人の3倍やってきたというのは
嘘ではないようでした。むしろ謙虚なぐらい。
冒険家 水木しげるの側面
さてさて、ねぼけ人生の間を超えて、
もう少し進むと、冒険家としての水木しげるに触れるコーナーです。
水木先生は60歳後半、片腕もないのにトランク一つで冒険しちゃったりします。
パプアニューギニアの現地人と民俗ダンスを踊ったり、
火の中に飛び込む精霊の舞の動画が流れて、水木先生が
興奮しまくってる姿が映しだされてます。
こうしてみると本当にただの少年です。どこから来るんだこの原動力。
この人絶対妖怪からパワー吸い取ってるでしょ!
妖怪吸い取る爺
いやーしかし、映像に出てきてたんですが、
パプアニューギニアの原住民の方々が
踊りながら燃えさかる炎に次々飛び込むシーンをみていたら、
冗談じゃなく妖怪って本当にいるなって感じますよ。
地球を対話している気がします。
冒険家として生き生きしている水木先生をこのコーナーで見て
力の源泉に触れた気がしました。
きっと先生は妖怪に好かれている。(私も私も!笑)
怠け者になりなさい
さて、水木しげる記念館の見どころを通して
水木しげる先生をかなり端折って紹介いたしましたが、
いよいよ記事のタイトルにもしている
メッセージに触れたいと思います。
「怠け者になりなさい」
この言葉、水木先生が好きでよく人に言う
言葉なんだそうですが、今まで紹介してきた水木しげる先生の人生。
全くどこにも怠けたイメージはなかったと思いません?
実はこれ、後から調べてわかったことなのですが
水木先生のニュアンス的には
「怠け者になる=自分の好きなことだけする」
ってことなんだそうです。
私はてっきり、ぐうたらのんびり生きなさい
だと思ってたんですがどうやら違ったみたい。
水木先生の奥様はそれでは誤解があるよと、先生に
進言しても、訂正したり、一切の説明はつけなかったそうです。
これは、深い。深すぎる。
何故深いかわからないですよねw
あくまで私が想像で深堀りしただけですが
私はこうとらえました。
自分の好きなことだけするというのは
「楽する」って事だけではないですよね。
水木先生からしてみれば両腕のある私達は
その気なら6倍はできるってことなんですが
6倍出来るほど熱中できること、つまりそのくらい
「好きな事」を見つけて「没頭」しなさい。
って事なんだと。それこそ
やりたくない事なんかやってる暇がないくらいね
深いでしょ?(無理やり)
他にも水木先生の日常のコーナーとか
妖怪展示があったりとか見どころ満載だったんですが
敢えて全てはお伝えしません。
それらは是非、境港に訪れて実際に見てみてください^^
これは絶対に生で体感すべき経験です。
常識を超えた経験の数々と、鉄の精神。
それでいてこの方はすこぶる愉快なんですよ。
水木しげる記念館に行ってみたら、ますます水木しげる先生を好きになり
もっともっとその人生に触れたいと思うこと間違いなしです!
これからも是非長生きして欲しいですね。
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