
働かない妖怪、働く人間──ワークライフバランスと現代妖怪考

はじめに:働きづめの宣言と妖怪との邂逅
2025年10月、日本の新たな総理大臣となった高市早苗さんが、「ワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて…」と発言されました。すごい熱量ですね。けれど、この言葉を聞いたとき、私はなんだかうっすらと怖くなったのです。
「働くこと」が美徳とされるのは今に始まったことではありませんが、あまりに一方向すぎると、それはもはや“呪い”のようにも感じられます。「生きる=働く」が前提になってしまったら、いったい私たちは何者になるのでしょう?
こういう時こそ、妖怪の目を借りて見直してみたい。そんな気がしたのです。
妖怪は“無為”の象徴である
思い出してみてください。『ゲゲゲの鬼太郎』の主題歌、あの有名な一節。「妖怪は仕事もなんにもない」──もう、これだけでうらやましい。
妖怪って、ほんとうに「何者でもない」存在です。会社にも通わないし、肩書きもない。時間に追われることもなく、ただそこに、ひょいっと存在している。ちょっと怖かったり、不思議だったりするけれど、どこか憧れるような自由さがあるんですよね。
彼らは人間の世界のルールに縛られません。生産性?効率?関係ありません。むしろ「非効率の申し子」と言ってもいいくらい。でもだからこそ、魅力的なんです。
働きすぎの社会と“取り憑かれた”人間
「努力し続ける者が評価されるべきだ」という考え方は、現代社会の根っこにある価値観です。高市総理の発言も、そういう信念から出たものなのでしょう。
でも……ちょっと待ってください。
努力って、休まずに続けなきゃいけないものなのでしょうか? それってもう、「何かに取り憑かれている」状態に近い気がしませんか?
現代人はみんな、何かしらに取り憑かれています。メールに通知、タスクに締切……。まるで現代の妖怪たちに、がっつり憑依されてるようなものです。
働かない妖怪からの視点
その点、妖怪たちは気ままです。やるときはやるけど、やらないときは全然やらない。動機があるような、ないような。欲望に忠実というか、ただただ“そうしたいからそうしている”というスタンスなんですよね。
そんな妖怪たちを見ていると、思わずこう言いたくなります。「それでいいんじゃない?」と。
私たち妖怪屋としては、そもそも「ワークライフバランス」って言葉にあまりピンと来ません。だって、バランスを取ることばかり気にしてたら、本当に夢中になれることに“偏れない”じゃないですか。
「偏って生きる」こと。それって、すごく妖怪的だと思いませんか?
提案:妖怪脳で生きるということ
人間社会の常識で言えば、妖怪は“役に立たない存在”です。でも、だからこそ面白い。だからこそ、忘れられない。
好きなことにとことん没頭する。周りの目や評価を気にせず、自分の感覚を大切にする。そんな生き方ができたら……ちょっと妖怪っぽくて、なんだか自由じゃないですか?
「役割」や「肩書き」から一度、ふっと離れてみる。そして、自分の中に眠る“妖怪脳”を目覚めさせてみる。そんな時間が、きっと今の社会には必要なんです。
結び:私たちは、少し“妖怪”になってもいいのかもしれない
私たちは、ただ“働くため”に生きているわけではありません。「仕事だから」「みんなやってるから」といった理由で自分をすり減らすのではなく、妖怪のように、自分のペースで、自分の好きなことに夢中になって生きる。
ちょっと偏っていても、ちょっと風変わりでもいい。
それが、今の時代を生き抜くための“妖怪的生き方”なんじゃないかと、私は思うのです。
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