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過去と未来の等価性

ずっと以前、ある物を実家の前で一人で構えていた時、両手で持って前に向けて構えていて自分の意思ではないのに、勝手に構えを解いて身体を大きく横にそらしたことがあります、コンマ何秒か後に大きな蛾が私の後ろから抜けていきました。夜で、後ろの音を聴いたり、まして視覚的に関知することは不可能です。こういったことは、当人にとって必然的な危機が迫った時、起きたり起きなかったりします。虫の知らせとか、潜在的に生物が持っている予知能力のようにも言われますが、地震のような出来事ならともかく、蛾が背後から飛んでくるような、極めて偶然的な出来事に対しては、不思議と言わざをえません。
私は以前、過去と現在と未来はそれぞれ記憶だと考えましたが、そうなると本来、過去と同様に未来の記憶も持っているのではないでしょうか?現在以外の記憶は確実に朧気となります。未来がわからないとされてるのと同様、過去が何だったのか、自分以外の客体の記録で辿ることは出来ても、自らの記憶としてはだんだん曖昧になってきてしまうものです。その時の確かな記録があっても、その時に自分が何を思っていたのか、感じていたのかを確実に記録することは難しいと思います。
私達には現在しかなくて、現在は意識した時点で過去になります。量子の観測問題みたいだと思います。時空総体の中の新たな現在感が求められる時代に来ていると思います。

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