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感じることで思ふカミとヒト

大変ご無沙汰しています、天地(あまつち)です。京都は今丁度桜の時期で、明日明後日頃に満開を迎えるところも多いでしょうが、今年は気候が不安定で満開がそのまま散るタイミングにならないか心配です。

私は自分の心身が剣技をやる事で研ぎ澄まされて、美しいものを美しいと感じることがより確かに出来るようになると思うので、花を見に行く前や美術館等に行く前や良書を読む前等も、可能であれば一刀に全力を発揮してからにします。

それ故、必ずお腹が空くはずなのです。剣技のお稽古と食べる事は表裏一体とか勝手に宣言しています。もう30代も半ばだというのに成長期の子みたいに食べますからね(笑)食べた栄養が有効に遣った部位にそのまま吸収されるような感覚は名湯のように気持ちいいです。

ところがこの間、故郷の小高い丘の植物公園で、平日の人が居ない時間にほぼ貸し切り状態で桜を楽しんだときは、ただ空気と花の香りが美味しくて、空腹は満たされて、何やら悲しい思い等もその時間の間だけは不思議と消えていきました。植物公園にあるカフェで、桜のムースのケーキセットをミルクティーで頂いただけで、その日は心身共に満たされてしまいました。

大袈裟ですがそういう時私は、霞を食べるという話を思い出します。心身を作る栄養は目に見えないところからも摂られていて、心と身体の両方を作っていくと思います。人の生成は何物でもあり得ますよね。物の怪やカミは私たちの子供や祖先かもしれないですね。

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