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拝啓 岩手より 付喪神の話

2205年で審神者をしています。えまです。推しは無口な狐と猫です。今回は物の妖怪の話。
あのゲームを始めた頃、正直なところ私の頭は疑問符でいっぱいでした。付喪神を私は妖怪だと思って疑わなかったので、ファンの間でそう呼ばれていたように彼らを神様と呼ぶことにはどうしても違和感があったのです。(公式には神とは言われていないと思っているのですが、どこかで何かありましたかね…)

本来の付喪神はその名に神とついているけれど、神様ではないのですよね。物は100年大事に使われると命が宿る。だから人は物に命が宿る前、99年でそれを廃棄した。あと一年で生まれることの出来た命の無念がその物を妖怪にしたのが付喪神(九十九神)である、私はそう認識していました。そのお話を読んだとき、それはさぞ悔しかろうなと思いました。子供の頃に見たお話なのでその由来は思い出せないのですが、付喪神絵巻が大元のように思います。そもそも付喪神のこの流れのお話って記述が少ないんですよね。

中世の付喪神にしろ、近代以降の器物の妖怪にしろ、いずれにしてもそれらが神であるとの記載は見掛けなかったように思います。神記述筆頭ともいえるWikipediaにも要出典がついているだけで明確なソースは記載されていません。付喪神が神との説の詳細、何かご存じの方はいらっしゃいませんでしょうか?(日本の神は八百万、と言っても、作用や働きの概念ではなく物そのものが神様になっているなんて事例があった…かなぁ…?)

刀の彼らはともかくとして、長く大事に使われた道具が命を宿す、というのはなんだか悪くないように思うのです。愛着も湧きそうだし。けれど、昔の人が「物が命を宿すと人を誑かすから煤払いとして廃棄し、それを避けた」というのなら物が命を宿すというのは私が考えるよりずっと厄介なのかもしれません。ただでさえ行方不明になるリモコン、メガネ、鍵は雲隠れし、電化製品はへそを曲げ、鏡は日によって写しかたを変えてしまう、なんてことになったり?うーん、雲隠れは勘弁してほしい… 一反木綿も物の妖怪ですし、元々の一反木綿の生態(?)を思えば、やっぱり物に命が宿ると悪さをすると昔の人は考えたのでしょうね。長年使ってきたのに反旗を翻されるのか…

百鬼夜行を始め、様々な絵巻物に命が宿った物のあやかしが描かれています。彼らを付喪神と呼ぶかどうかはまた色々とあるようですが、まぁ絶滅しかけた種が時代を経てまた増えることもあるでしょうし、発見前からその種は存在していたでしょう、ということで…。描かれるのは酒器やしゃもじ、楽器、文机、筆に硯の実用品たちですが、このあたりの物って、博物館や資料館や記念館で見かける物が多いんですよね。遺品であったり、過去の遺産として。100年なんて余裕でこえてる古物たちの中には、ずっと大切にされてきて今は展示品となった物もあるでしょう。みんな付喪神になっていないかしら?閉館後にみんなで百鬼夜行。
俄然、和製ナイトミュージアムに夢が膨らむ平成の末です。

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  1. 審神者:烏

    刀剣乱舞における付喪神が神だというのは、確かゲームのデモムービーにもあった気がしますが、『刀剣乱舞絢爛図録』に明記されています。
    また、付喪神が神であると明言したのは大槻文彦です。1934年の『大言海 3巻』で、「器物ノ古ビテ、精霊ヲ得タリト云フ神」と書いています。現在でも付喪神は(世俗/土着的な)神と書かれることはありますが、妖怪と見る方が多いです。

    • えま

      >烏さん
      ありがとうございます!
      ムービーも記事を書く前に一応は確認したんですが、見落としたかもしれません… 図録は実家なので、GWに帰省したときに確認してみますね!
      大言海も図書館で当たれそうなので近いうちに見てきます。情報ありがとうございました。

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